圭の家のOBの方からのメッセージ NO7
- 2019/09/10
- ブログ
圭の家をステップアップされ、現在一般就労をされている方からメッセージが届きましたので、ご紹介させて頂きます。
『当たり前の重み』 T.K
作業所に通所してる人と交流する機会が有った。彼とは好きなアーティストが一緒で、年賀状も毎年往来している。そのアーティストのリリースしたアルバムを、彼は『お金が有れば買いたい』と記していた。私は、はたと気付かされた。昔、作業所にいた頃は、彼と同じ思いだったろう。お金を、我慢して貯めていた筈だ。一般就労して、少し余裕が出来た私は、そのCDを何ら障壁なく、購入していた。そこで一句思い付いた。
『有り難き』 ものが現在(いま)では 『当たり前』 失って知る 昔日(せきじつ)の価値
作業所通所を5㎞マラソンとすると、一般就労はフルマラソン並みにしんどい。だからある程度、贅沢をしてもバチは当たらないだろう。でも老後を考えると、生活レベルは徐々に落としていきたい。私が今在るのは、給与に対して意識が変わったお陰だ。以前は、頑張った自分に対してのみ、褒美を与えた。現在は、一定額将来に備え、貯蓄し、残りは周りの方に、与える事が望外の喜びだ。ギブアンドテイクではなくギブ、ギブ、ギブ時にテイクである。サービス業に従事する日々の理念の具象化だ。紙幣に価値は無い。ただの紙切れだ。相手に対する信用との交換で、我々は対価を手にする。先述の短歌に有るように、有り難いという想いは、永続しない。贅沢な生活を、当然と盲信せず、当たり前のレベルを下げていきたい。